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最期の聲を届ける仕事〜法医学に憧れたワケ

※写真は、もう5年くらい前のもの。
 まだ霊媒師とは名乗らずお仕事していました。
 あのころは、そんな勇気はなかったなあ。

「法医学」という学問があります。
最初にそれを知ったのは、19のとき。
ジャズピアニストになった大江千里さんが
まだポップス界の貴公子と呼ばれていたころ。
千里さんが大好きで、ドラマに初出演される、
と聴いて、観たのがはじまり。
「法医学教室の午後」というドラマでした。
生まれてはじめて「法医学」の存在を知り。
やがて、「きらきらひかる」というドラマで
「死者最期の聲を届ける仕事」に興味を
持ちます。
理数女子であれば。
頭がよければ。
お金持ちの子だったら。
きっと、法医学者を目指したかもしれません。
しかし、その「たられば」は、一切叶うことは
なく。
ひたすら画面の中の世界に魅入られる日々。
「ヴォイス」「アンナチュラル」と、法医学
ものを観続けて。
アンナチュラルあたりから、死者最期の聲の
意味が亡くなった方の思い残しから、遺された
方の未来へと変わっていきました。

東日本大震災遺族の通訳は、言葉にするのも
ツラいシーンもあれば、反対に故人の代わりに
厳しく叱る場面もありました。
でも。
これで、遺族の未来が変わるなら。
その一念でご依頼が頂ける場所に出続けて
きました。
あのときも、被災地の方に最初の鑑定を受けて
頂けるまで3年を要しました。
なかなかセンシティブなお話ですし、声高に
「通訳します!」と口にするのは、本当に
勇気のいることだったのです。
いま。
世界的パンデミックを前に、あのときと
同じことを思っています。
もしこのパンデミックで「遺族」と呼ばれる
ことになった方がいたら。
後遺症の不安や、将来の不安がある方が
いらしたら。
どうぞ、お声を掛けてください。
ほんの少しの息継ぎする時間と、言葉を
お渡しできるかもしれません。

法医学者には、なれなかった代わりに
霊媒師になりました。
形は違えど、死者最期の聲を届ける仕事が
できて満足です。