「幸せを諦めない人を作る」その想いの理由

 

西陣の拝み屋は2024年で開業20年目を迎えます。紆余曲折ありながら20年、このお仕事を続けて参りました。 

お仕事の始まりは2002年、当時はフリーランスとしてライティングや小学校の学習教材を作るお仕事をしていました。そんな中2004年に臼井靈氣と出会います。きっかけは2001年に脳腫瘍で33歳の若さで他界した戦友とも言える親友の死。彼女の病を聞かされたとき既に医師の余命宣告から一年が経過していましたが、さらにそこから3年4ヶ月の闘病を経て暑い夏の日、彼女は黙って逝ってしまいました。

 

彼女は元夫の友人の妻でした。当時わたしたちは嫁姑問題に苦しみ、奇しくも1度の流産と2度目の妊娠も流早産の危険をかいくぐり、妊娠後期を迎えていました。3ヶ月違いで第一子を出産し、その後も終わることのない嫁姑の問題にいつのころからか戦友のような間柄となり、夫の繋がり関係なく仲良くなっていきました。そして、第二子を出産してしばらくして、彼女が病に冒されていることを聞かされたのです。当時のわたしは本当に無力で出来ることは何一つなく、やがて訪れた彼女の死さえも現実感が持てませんでした。戦友を失った人生の中で襲いかかる後追い衝動、しかし幼子を置いてはいかれない。そんな苦しみが2年近くも続いたころ、フリーランスになったことがきっかけで臼井靈氣と出会い、その師匠によって彼女と話をする人生初の故人の通訳を体験したのです。

「わたしのことはもういいから。これからは生きている友だちを大切に」

師匠の口を借りて告げられたこの言葉を拠り所に、わたしは靈氣療術家になりました。

 

彼女の死から10年が過ぎた2011年、東日本大震災が起こります。仕事で行っていた千葉県市川の客先で被災、帰宅難民となりました。当時シングルマザーで17と14の子どもを育てていたわたしは、その未曾有の震災の最中に数百キロ離れた湘南へ子どもを置き去りにしたまま市川の駅前に一晩足止めされ身動きが取れなくなってしまいます。あの生きた心地のしなかった一夜、自分への怒り、苛立ちは生涯忘れることができません。そして客先で体験した初めての命の危険を感じる揺れ。

「神様お願いです、いまは殺さないで」

人生初の命乞いは、その後の自分の人生を2年半凍結させるには十分すぎる体験でした。

 

震災を機に、能力を含めたすべてが動かなくなってしまったわたしは、その後2年半生きた屍のような人生を過ごしました。そんなある日、横浜にある防災のNPOの発足を機に現地調査隊として宮城県気仙沼へ派遣されることになります。行きたいと願いながらとても遠い場所だった被災地、そこでの出会いや体験が緩やかに閉じていた自分の人生に再び光と息吹を与えてくれたのです。そこからゆっくりと3年近い時間をかけて再びこの世界で生きる時間を取り戻していきました。

 

被災地に支援に入り、いろいろな方にお会いしました。津波で家族を失い、生き残った親子の関係が悪くなってしまったケース、奥様を亡くされ働く意欲を失った息子を年金とパートで養う年老いた母親。彼らの姿を見るにつけ、思い出すのは10年前の自分の姿でした。わたしは彼らの前に座り、話を聴き、もうこの世にはいない方の言葉を伝えました。そして、淀みなくこう言いました。

「あなたには、まだ身体がある。残念だけれどあなたの大切な人にはもう身体がない。身体のあるものは、身体を手放した人間の分まで生きなければならない。大切な人の分まで二人分、しっかり生きて下さい」

それは、残酷なことかも知れない。かつてのわたしも、なんてひどい、と思っていた。でも、死してなお人は魂として存在し続ける。その魂の一番嫌なことは遺してきた人たちが自分のためにダメになっていくことかつてわたしが親友に叱られたように、きっと観ているしか出来ない人たちは叱ってやりたいと思っているに違いないから。

 

「諦めない」ということは、「明日もやり続ける」ということ。だからこそ、一人で生きていたくない、と言ってくる人に対し「申し訳ないけれど、明日も生きて貰う。なぜならわたしと出会ってしまったから」とお伝えします。

東北の被災地の復興支援で長く続けてきたことは、明日の被災地に仕事を作ることでした。微々たる売り上げにしかならないかも知れない、それでも明日もあなたの仕事を待っている人がいます。そんな現実をいつまでも作ってあげたかった。震災から12年が過ぎ、被災地と呼ばれていた場所は、独り立ちの時期を迎えてしまいました。だからこそ、その被災地で命を失った人たちが教えてくれたことを、わたしは伝えていきたいのです。

 

身体があることは、何より贅沢なこと。だからこそ、諦めないで続けて欲しい。あなたは、いったいどうなりたくて、何があなたの幸せなのか。それをまっすぐ求めて欲しい。それが一人では難しいことをきっと、わたしは誰よりも知っている。だからこそ、心が折れないように、支えが必要なときはお手伝いさせて欲しい。明日一日頑張って生きて、これを続けてみよう。そう思ってくれる方を増やしていくこと、それが西陣の拝み屋の願いであり、喜び。

そんな想いを必要としてくれる方にどうか届きますように。

そんな思いで日々、ここから発信を続け、必要な人に届くことを願っています。

 

「明日のあなたが、今日より少しだけ笑っていてくれますように」

そんな願いを込めながら。